冷めたスープでも美味しい
「スープが冷めない距離」という言葉をご存知だろうか。
作ったスープを運んでも冷めることなく、丁度良い温度で食べることができる
距離のことを言うようだ。
現実的には「近所」のことを表すのだろう。
最近では「親との同居」を例えた言い回しとして、しばし見かけることが多くなった。
スープを冷めないうちに食べてもらうには、もちろん距離以外にも工夫がいる。
距離に関係なく、保温効果のある容器に入れる必要があるし、美味しく食べてもらうためには、スープを作る適切なタイミングや温め直す気配りも大切だ。
さて、貴方がきちんと温かい状態でスープを出したときに相手がどんな反応するのかを想像してみてほしい。
「ありがとう」「いただきます」「美味しい(美味しかった)」「ごちそうさま」
通常であれば、このような言葉が返ってくるのではないだろうか。
しかし、自分の場合は違う場面が想像される。
「なぜ早く持ってこない」「言われる前にさっさと出せ」
「なんだこれは、きちんと温めたのか」「スープくらいまともに作れないのか」
だいたいこんな感じだ。
人生を振り返ると、自分の周りには強烈な人間が多かった。
もちろん、きちんとした常識人もいるのだが、頭を抱えている状況が常である。
何としてでも解決したい、先ほどのスープで例えてみれば、相手に美味しいスープを届けたいという一心で自分なりに試行錯誤を繰り返してきた。
毎日毎日、分厚い雲がかかった心の片隅で、こんなことをぼんやり考えている。
そもそも彼らに対して、温かいスープを出し続けることは意味があることなのか。
努力が報われる日はくるのだろうか。
今までだって一度もそんな日が来たことはなかったよな。
ある日のこと、いつも通りの自問自答を繰り返しながら歩いていた。
ただ、その日だけは違った。
そうだ、どうせ文句しか言われないのだから、
冷めたスープを出してみよう。
分厚い雲の隙間から「開き直り」という光が差し込んだ。
まだ雲はあるが、向こう側に青空が見える。
急にどうでもよくなった、よく考えてみたら冷めたスープでも十分に美味しい。
このブログを始めようと思ったのは、大半この開き直りがきっかけである。
開き直ったとはいえ、
冷めたスープ(冷静な目で)を出した(見つめてみた)ときに何かが気づけるかもしれないという淡い期待もあるのは確かだ。
このまま冷めたスープを出し続けていくのか、それとも以前のように温かいスープを出したいと思う日が来るのか、今はまだ分からない。
だが、疲れ切っているはずなのに、なぜかスープを作ることだけは止めなかった自分を信じて書き連ねてみようと思う。