500年の時を越えた人
突然だが、貴方は「織田信長」についてどのようなイメージをお持ちだろうか。
彼の所業について諸説あるが、残虐無比、既成概念に捉われない革命児・風雲児、
多くの人はこのようなことを思い浮かべるだろう。
時折、「織田信長のような性格です」と自己紹介してくる人がいる。
自分の友人にもいた。
彼の場合は、単に「新しいもの好き」を説明したかったようである。
なるほど、非常に回りくどい。少なくともその説明の仕方は革命的とは言えなかった。
彼を語るのはこれだけでは足りない。
信長に憧れているのか、信長のような性格に憧れているのか真意は分からないが、彼は日に日に、会話の端々に「俺は信長だから」というフレーズを入れてくるようになったのだ。
煩わしい日々の始まりだ。
面識もなければ、同じ空の下に存在したこともない500年前の人間にこれほどの嫌悪感を抱くことになったのは、後にも先にもこの一件だけだろう。
てっきり周りからも皮肉を込めて「信長」と呼ばれているのだろうと思ったが、友人の一人は「本物の信長に失礼だから絶対呼ばない」と、敢えて呼ばない理由を教えてくれた。できた人間だ。代わりにその友人を「前田利家」と呼ぶことにした。
さて、無常な人の世とはよく言ったもので、嘗ての信長公が天下統一の夢半ば、50歳を目前にしてこの世を去ることになったように、彼の時代もまた終わりを告げようとしていた。
彼は遂に「織田信長の生まれ変わり」を名乗りだしたのだ。
ご乱心にもほどがある。
自称も捨てたものではないくらい、生まれ変わりへの鍛錬に精を出した彼は、
信長に関する質問に対してほぼ答えることができた。
但し、分からないことは全て「500年前のことだから覚えていない」で通した。
昨今の国会議員の「記憶にございません」など、比ではない。
そんな中、すれ違い様にぶつかった相手に罵声を浴びせたり、酒の席で女性を泣かせたりと、少しずつ愚行が目立つようになってきた。
友人たちは幾度となく制するものの、信長は聞く耳を持たなかったため皆去っていく結果となった。そして自分も皆と同様、彼と袂を分かった一人である。
この織田信長物語に続きはない。
もはや冷めたスープさえ届ける機会もなく現状を知る由はないのだが、変わらず信長の生まれ変わりをやっているのなら大したものだ。
自分なら明智光秀の生まれ変わりに怯えて暮らすのはご免だからである。